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【1992年】
塀の「外」の懲りない面々
園田 寿
みんな事件が好きだ。話題になるなら何でもいい。りえちゃんのヌードや若貴兄弟と並んで、勝新のパンツの中身が食卓の話題になったりする。みんなが知っていることを知らないということは、とても寂しいことだし、それにだれもトリカブトで人殺しをやろうとは思わないので、何よりもこの手のハナシは軽い話題なのだ。芸能レポーターが事件の取材をやり、三浦サンのリップサービスが連日ワイドショーに登場するようになってから、犯罪はとても明るい話題になってしまったような気がする。実際、佐川クンや宮崎クンのオッカケって、いても不思議じゃないように思う。
みんなが話題にしているということは、実はそれだけで重要なことだ。情報は共有されなければいけない。ある作家が刑務所のことを書いたら、塀の中が途端にメジャーになってしまった。マイナーな存在が注目を受けることは、社会の発展にとって不可欠だと思う。でも、メジャーになった塀の中が明るくなったかといえば、やはり依然として暗い存在なのである。先日、ある連続強盗殺人事件の被告人が、性描写のある浮世絵が掲載された書籍の読書を拘置所長から禁止されたとして、50万円の損害賠償を請求した。これに対して裁判所は、「性に異常な執着、興味を持つ者にこのような書籍の読書を許せば、拘置所内の秩序の維持に障害が生ずる恐れがある」として、請求棄却の判決を言い渡した(東京地裁平成 3年10月25日判決)。塀の中のこの暗さは、やはりタダモノではないのだ。
学生たちと刑務所を見に行っても、みんなこの暗さにガクゼンとして、少なからずショックを受ける。高い塀によって遮断された、付近の住宅地との異様なコントラスト。男子刑務所には当然のことながら女性はいないし、子供の姿も見えない。塀の中の工場では、みんな黙々と作業をする。入れ墨がのぞいているお兄さんもいれば、白髪の老人もいる。寝起きする舎房を見ると、鉄格子の窓が高くて、トイレは上半身が見えるようになっていたりする。部屋の隅に置いてあった将棋盤が手垢で真っ黒になっていて、それを娯楽用具というには何か物悲さが伴う。毎年、塀の中に戻ってくる人が 100人中60人以上もいて、人生のほとんどを刑務所の中で暮らす人もいる。刑務所には、犯罪を日常的に話題にするようにはとても語れないものがあるのだ。
法律は人が言葉で作ったものだから、その限りではフィクションである。でも、それに従わないと処分されたり、刑罰が科せられたりして、人が言葉で作ったものに人は物理的に拘束される。学生時代にこのことに気づいてから、法律学が面白くなった記憶がある。悪いことをすれば罰があるけれど、それはしょせん人の作った法則である。人がなぜ人を罰するのかは人間社会の永遠の課題だろうけれど、刑務所という存在をこの眼で見ることによって、犯罪について話すときのわれわれのノリも違ってくるかもしれないのである。
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