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【1992年】
新入生向けの小冊子に書いたものです。


「書く」道具から「考える」道具へ





園田 寿



 1. 10年余り前、私は同僚の民法の先生と共に大阪港区で行われたOAショーにでかけて行った。数週間前の新聞で、F社が低価格のワープロ発売とのニュースを読み、実際に触りに行ったのだった。今から見れば、処理速度は話にならないくらい遅く、記憶容量も貧しい。低価格とはいえ当時車1台分もしたその値段は、それでも劇的な安さだったのである。これが私のワープロ第1号機となった。

 2. 高校時代に読んだ梅棹忠夫さんの「知的生産の技術」(岩波新書)に感動し、カタカナタイプライターを購入して、手紙をカタカナタイプで打ってひんしゅくをかっていた私は、ワープロを見たとたんようやくこの本の内容が現実のものとなったと思った。それまでは、いわゆる京大型カードと呼ばれるカードにさまざまな資料の抜き書きやアイデアを書き込んで、畳の上に並べて各カード間に関連性をつけて、輪ゴムでまとめ、それをもとに論文を書いたりしていた。論文を書くことは「書く」こと以前に大変な時間と手間がかかり、「思考」と「書く」という行為が乖離していくような気がした。なによりも手間をかけて一度使ったカードを、別の関連テーマのために再び探し出して使うことが難しいのであった。

 3. 情報を電子データの形で保存すると管理しやすい。検索が容易になるから、一度使った資料でも何度も参照することが可能となる。ディスプレイ上で文章を作成するため、推敲を充分にくり返すことができる。研究会や講義で配付する資料にも、手書きに比べてはるかに多くの情報を盛り込むことができるし、何よりも見た目が美しく、読みやすいのである。今では研究会の資料などは手書きの方が珍しいくらいであるが、当時はまだワープロという言葉すら一般的ではなく、研究会での報告後、報告内容よりもワープロに関する質問が殺到して困ったこともあった。

 4. 私は8年間ワープロを使い、その間5台のワープロを買い換えた。しかし、4年前にパソコンに乗り換えた。ワープロはやはり文章の清書のため、つまり「書く」道具であり、より高度で複雑なことを行おうとすれば限界が感じられたのである。

 (1) まず、ワープロは思考と一体になった道具ではないと思う。「書く」という行為はもちろん思考そのものではあるが、ワープロは思考を支援する道具とは言いがたい。思いついたアイデアや資料をまずランダムに書きとめ、後ほどじっくりと吟味しながら、「書く」ことによって思考をまとめることができればよい。
最近のワープロにはアウトラインプロセッサ機能のついたものがある。高い次元から段階的に低い次元へと降りて行って、物事を体系的に考えるということは非常に重要なことであり、その作業にはこのアウトラインプロセッサ機能は大変便利である。しかし、問題はそれ以前にある。

 (2) 天才と呼ばれる人の能力は、物事を関連づけることにあるのではないか。梅の実とシソの葉という全く関連のない異質なものを組み合わせて、梅干しを発明することは、やはり凡人の能力の範囲を超えている。われわれが思考する時には、観念を目に見える形にして、ジグソーパズルのように試行錯誤を繰り返しながら「見続ける」しかない。アイデアや資料などを「見える」形に変換し、それらを具象的に関連づけて浮かび上がらせるツールが欲しいのである。
 このような要請に応えるものとして、アイデアプロセッサが重宝する。これはカード型データベースの一種であるが、資料やアイデアに対してさまざまな形で関連性を与えることができ、素材に大きな流れをつけるのに適している。このソフトを走らせて資料に一本の筋をつけることができれば、その仕事の8割りは片づいたと思う。

 (3) 外部のデータベースは資料の宝庫である。図書目録、新刊情報、新聞記事、法令、判例等々。モデムを購入し、パソコンと電話をつなげば、日本だけではなく世界中の巨大なコンピュータネットワークが思い通りに操作できる。(少し経済的負担はかかるが)アメリカのデータベースに接続すれば、数日前に出た最新の判例を入手することもできるのである。通信機能のついたワープロならこのようなことも可能である。しかし、入手した情報は有効に利用しなければ意味がない。私は、外部のデータベースで入手した情報をパソコンの個人用データベースに入れて有効利用している。

 5. 以上述べたことは、私の個人的な「知的生産の技術」のごく一部であって、学生である諸君の参考にはならないかもしれない。しかし、近い将来、(語学の学習に辞書の所有が必要であるように)文系理系を問わずパソコンの保有が必須のものとなる時が必ず来る。すでに私のゼミではゼミの連絡や質問などは電子メールで受け付けており、答案添削も電子メールのやりとりで行っている。
 「書く」ための道具から「思考」を支援する道具へと進化したパソコンは、諸君の学習を支援する道具でもある。元来、大学とは情報を習得する場ではなく思考力を養う場であるから、パソコンを思考を支援する道具として位置づけ、できるだけ早い時期に購入を考えてはいかがだろうか。


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